パタヤに行けない夜に、頭の中でウォーキングストリートを歩く

パタヤ

パタヤを思い出す時、最初に浮かぶのは光や音ではなく、匂いだった。

ウォーキングストリートと聞くと、ネオンや音楽を思い浮かべる人が多いかもしれない。

でも、自分の中では、まず屋台の煙とスパイスの匂いが立ち上がる。

ガイヤーンの煙。
甘いソースの匂い。
湿った夜の空気。
人の流れと、どこからともなく聞こえる音楽。

しばらくパタヤに行けていなくても、その匂いの記憶だけは妙に残っている。

朝の通勤中でも、仕事の合間でも、ふとした瞬間にその記憶が戻ってくることがある。

そして少しだけ、頭の中が旅の方へ向く。

パタヤを思い出す時、最初に浮かぶのは匂いだった

旅の記憶は、写真よりも匂いの方が強いのかもしれない。

写真を見れば、たしかに景色は思い出せる。
ネオンの色も、通りの混み具合も、店の看板も、ある程度は思い出せる。

でも、胸の奥に急に戻ってくるのは、視覚よりも匂いの方だ。

屋台の煙。
焼いた肉の匂い。
油と香辛料が混ざった空気。
少し湿った夜の風。

あの匂いを思い出すと、自分の中でパタヤの夜が勝手に始まる。

別に、何か特別なことをしているわけではない。
ただ歩いているだけだ。

半袖で、少し汗をかきながら、人の流れに乗ってゆっくり歩く。
どこかの店から音楽が漏れてくる。
屋台の前で少し足が止まる。
何を食べるか決めていないのに、なぜかもう楽しい。

そういう何でもない時間が、やけに恋しくなる。

派手な観光地としてのパタヤではなく、
ただ夜の通りを歩いている時の空気。

自分が思い出したいのは、意外とそういう部分なのかもしれない。

派手な通りの中にある、妙な静けさ

ウォーキングストリートは、当然ながら派手だ。

ネオンがある。
音楽がある。
人が多い。
店の呼び込みもある。
観光客も、地元の人も、いろんな人が歩いている。

情報量は多い。

でも、不思議なことに、あの通りを思い出す時、自分の中には少し静けさも残っている。

騒がしい場所なのに、歩いていると妙に頭が整理される瞬間がある。

人の声。
遠くのカラオケ。
バイクの音。
屋台の調理音。
通り過ぎる観光客の話し声。

それぞれは騒がしいのに、全部が混ざると、自分の悩みの方が少し小さくなる。

日本で仕事をしている時は、頭の中が妙に詰まっていることがある。

やること。
支払い。
仕事。
相場。
将来のこと。
次にいつ旅に行けるのか。

そういうものが頭の中で固まっている。

でも、パタヤの夜を思い出すと、その固まりが少しだけほどける。

理由はよく分からない。

ただ、あの通りを歩いている自分を想像すると、
「まあ、そんなに急がなくてもいいか」
という気持ちになる。

派手な通りの中にある、妙な静けさ。

自分にとってのウォーキングストリートは、単なる夜の観光地ではなく、そういう場所として記憶に残っている。

妄想ではなく、旅の記憶として歩いてみる

以前は、こういうものを全部「妄想」と呼んでいた。

行けないから、頭の中で歩く。
行けないから、ホテルを調べる。
行けないから、屋台の動画を見る。
行けないから、次の旅を勝手に組み立てる。

たしかに、それは妄想に近い。

でも最近は、少し違う見方をしている。

これはただの妄想ではなく、旅の記憶をもう一度なぞっているだけなのかもしれない。

人は、行った場所のすべてを覚えているわけではない。
むしろ、かなり忘れている。

泊まったホテルの部屋番号も忘れる。
食べた料理の名前も曖昧になる。
どの道をどう歩いたのかも、細かくは覚えていない。

それでも、匂いや空気だけは残っている。

だから、頭の中でウォーキングストリートを歩く時、
それは現実逃避というより、記憶の整理に近い気がする。

あの時、自分は何を見ていたのか。
何に惹かれていたのか。
なぜ、また行きたいと思うのか。

そういうことを、頭の中で少しずつ確認している。

パタヤに行けない時期が続くと、どうしても「次はいつ行けるか」ばかり考えてしまう。

でも本当は、行けない時間にもできることはある。

記憶を整理する。
次に行きたい場所を考える。
今の生活に、少しだけ旅の空気を戻す。

そのくらいなら、今でもできる。

行けない時間は、台所で少しだけ冷やせる

旅に行けない時、気持ちを全部チャートや仕事にぶつけると、少し苦しくなる。

パタヤに行きたい。
でも今は行けない。
では、どうするか。

そういう時、自分にとって意外と効くのが、家でタイ料理っぽいものを作ることだ。

本格的でなくていい。

鶏肉に、にんにく、ナンプラー、少しの砂糖や蜂蜜を揉み込む。
それを焼くだけでも、部屋の空気が少し変わる。

ガイヤーン風の何か。
それくらいで十分だ。

スーパーでマンゴーを見つけたら買ってみる。
冷凍のライムを使ってみる。
辛めのソースを少し足してみる。
YouTubeでタイの街歩き動画を流しておく。

それだけで、本物の旅にはならない。
もちろん、ウォーキングストリートにいるわけでもない。

でも、行けない気持ちは少し冷える。

大事なのは、完璧に再現することではない。

旅への未練を、危ない方向に流さないことだと思う。

行けない寂しさを、無理なトレードに乗せる。
行けない焦りを、衝動買いに変える。
行けない不満を、夜更かしでごまかす。

そうなるよりは、台所で少しだけ旅の空気を作った方がいい。

安くて、地味で、誰に見せるわけでもない。

でも、意外と心は落ち着く。

屋台の匂いを生活に戻す小さなプラン

やることは小さくていい。

たとえば、3日だけ試すならこんな感じだ。

1日目は、材料を買う。

鶏肉。
ナンプラー。
にんにく。
少し甘めの調味料。
できればマンゴーか、南国っぽい果物。

2日目は、ガイヤーン風のものを作る。

本格的なレシピでなくていい。
屋台の完全再現を目指す必要もない。

ただ、焼いている時の匂いで少し気分が変われば、それで十分だ。

3日目は、近場の市場やスーパーを少しゆっくり歩いてみる。

普段なら見ない棚を見る。
香辛料の売り場を見る。
輸入食品のコーナーを見る。
タイ料理屋が近くにあれば、ランチで入ってみる。

それだけでも、小さなミニ旅になる。

旅は、飛行機に乗らなければ始まらないわけではない。

もちろん、本物のパタヤとは違う。
湿った夜の空気も、ネオンも、あの独特のざわめきも、そこにはない。

でも、生活の中に少しだけ旅の感覚を戻すことはできる。

それは、行けない時間をただ我慢するより、ずっとましだと思う。

パタヤは遠くても、旅の空気は少し作れる

パタヤに行けない時期がある。

仕事の都合。
お金の都合。
体力の都合。
タイミングの問題。

理由はいろいろある。

でも、行けないからといって、旅への気持ちまで消えるわけではない。

むしろ、行けない時ほど、記憶の中の街は鮮明になる。

ウォーキングストリートのネオン。
屋台の煙。
暑い夜の空気。
人の流れ。
何をするでもなく歩いていた時間。

そういう記憶は、意外としぶとく残っている。

だから、無理に忘れなくてもいい。

ただし、その気持ちをそのまま焦りに変えると、少し危ない。

行きたいから、無理にお金を増やそうとする。
行きたいから、勢いで予定を組もうとする。
行きたいから、今の生活を雑に扱う。

そうなると、旅は遠くなる。

パタヤに行きたい気持ちは、生活を壊すためではなく、生活を少し整えるために使った方がいい。

家でタイ料理を作る。
次に泊まりたいホテルを調べる。
歩きたい通りを地図で見る。
持ち物を少しずつ揃える。
近場で小さな旅気分を作る。

そんなことでいい。

パタヤは遠い。

でも、旅の空気は少しだけ作れる。

ウォーキングストリートを実際に歩ける日は、また来るかもしれない。
その時まで、頭の中で何度か歩いておく。

そして、台所に少しだけ屋台の匂いを戻しておく。

それくらいの距離感が、今の自分にはちょうどいい。

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