朝イチで+5pipsを取って、少しだけ気分が良かった。
コーヒーを淹れながらチャートを開くと、GBP/JPYがきれいに伸びていた。
あとから見ると、100pips近く上がっている。
自分の履歴には、ちょこんと「+5pips」。
勝っている。
でも、なぜか負けた気分になる。
5pipsを取った瞬間は、たしかに安心していた。
朝から勝ちで始まった。
今日は落ち着いていこう。
そう思っていたはずなのに、伸びきったチャートを見た途端、胸の奥がざわついてくる。
なんで、あそこで逃げたんだろう。
もう少し持っていればよかった。
あれだけ伸びるなら、もっと取れたはずだ。
この「取れたはず」が、一番危ない。
実際には勝っているのに、逃した利益ばかり見てしまう。
取れた5pipsではなく、取れなかった95pipsの方を見てしまう。
そして、そのざわつきを冷ますどころか、今度は別のチャートを開いてしまう。
ゴールドだ。
「こっちで取り返せばいい」
そう思った時点で、たぶんもう負けていた。
結果は、言うまでもない。
ロンドン勢が本格的に動き出す前に、自分の口座だけが先に崩れた。
トレード日記に残ったのは、-15,000円という数字だった。
取り返そうとして、別のチャートを開いた時点で負けていた
GBP/JPYで+5pips。
そこだけ見れば、負けていない。
でも、感情としては負けていた。
本当は、そこで終わればよかった。
朝から小さく勝って、チャートを閉じる。
それだけで十分だった。
ところが、伸びたチャートを見た瞬間に、勝ちの意味が変わってしまった。
「勝った」ではなく、
「もっと取れたのに逃した」になる。
この変換が入ると、次の行動がかなり危なくなる。
もう冷静な分析ではない。
ただの取り返しに近い。
GBP/JPYで逃した利益を、なぜかゴールドで取り返そうとする。
通貨も違う。
値動きも違う。
根拠も薄い。
それでも、頭の中ではつながっているように見える。
さっき逃した分を、こっちで取り返す。
朝のモヤモヤを、次のトレードで消す。
負けたわけではないのに、負けを取り返そうとする。
こうなると、もうチャートを見ているようで、実際には自分の感情を見ているだけなのだと思う。
-15,000円を、なぜかパタヤ換算してしまう
-15,000円。
普通に考えれば、そこそこの金額だ。
一回の食事代どころではない。
人によっては、数日分の生活費にもなる。
ただ、自分の中では、この金額を見ると、なぜかすぐにパタヤ換算が始まってしまう。
15,000円あれば、現地でそれなりに楽しめたはずだ。
食事もできる。
移動にも使える。
少しだけ夜の街を歩く余裕もある。
ホテル代の足しにもなる。
そう考えると、ただの損失が、妙に生々しい金額に見えてくる。
画面上では、ただのマイナス表示だ。
でも、頭の中では、パタヤの街のどこかで使えたはずのお金として再生される。
屋台の湯気。
ビーチロードの空気。
夜のネオン。
ソンテウの風。
少し安っぽいけれど、妙に落ち着くホテルの部屋。
そういうものが、まとめて15,000円の中に浮かんでくる。
実際には、ただ自宅でチャートを見ていただけだ。
パタヤにいたわけでもない。
現地で何かを失ったわけでもない。
それなのに、損失を見ると「パタヤで使えたお金が消えた」と感じてしまう。
この感覚が、けっこう厄介だ。
パタヤへの未練を、チャートで取り返そうとしていた
冷静に考えると、自分はパタヤを少し特別な場所にしすぎているのかもしれない。
また行きたい。
もう一度、あの空気を吸いたい。
あのゆるさの中に戻りたい。
そういう気持ちはある。
ただ、その気持ちを相場に乗せすぎると、かなり危ない。
口座が増えたら、パタヤに近づける気がする。
口座が減ったら、パタヤが遠のいた気がする。
勝てば自由に近づいた気がして、負ければまた現実に戻された気がする。
でも、本当はそう単純な話ではない。
パタヤに行くためには、旅費を貯めればいい。
予定を立てればいい。
仕事や生活との折り合いをつければいい。
それなのに、なぜかチャートの勝ち負けで、パタヤとの距離を測ろうとしてしまう。
このポジションが伸びたら、パタヤ何泊分だろう。
この利益が取れたら、次の旅行が近づく。
この損失を取り返せば、まだ大丈夫。
そう思った瞬間、それはもう冷静なトレードではなくなっている。
パタヤに行くための資金作りではなく、
パタヤに行けていない自分をなだめるためのトレードになっている。
ここが一番まずい。
埋めたかったのは、残高ではなく「行けなかった時間」だったのかもしれない
今日しんどかったのは、-15,000円そのものではない。
もちろん、お金が減ったことは痛い。
でも、それ以上にきつかったのは、「また同じことをやった」という自分への失望だった。
5pipsで逃げる。
伸びたチャートを見て悔しくなる。
取り返そうとして別の銘柄を触る。
根拠が薄いまま入る。
そして、余計に減らす。
この流れを、何度も見ている。
だからこそ、損失額以上に、自分の癖を見せつけられた感じがした。
たぶん自分は、残高だけを埋めたいわけではない。
行けなかった時間。
戻れなかった場所。
先送りにしてきた旅。
思っていたより自由ではなかった自分。
そういうものを、チャートでまとめて埋めようとしていたのかもしれない。
でも、相場はそんな穴を埋めてくれない。
チャートは、過去に行けなかった旅の代わりにはならない。
損失を取り返しても、行けなかった時間が戻るわけではない。
利益が出ても、自分の未練がきれいに消えるわけでもない。
むしろ、そこを混ぜるほど、トレードは崩れやすくなる。
今日の負けで一番認めたくなかったのは、そこだった。
トレードの反省より先に、自分の穴を見る必要がある
もちろん、トレードとしての反省点はある。
利確が早すぎた。
伸びた後に焦った。
根拠の薄いゴールドを触った。
取り返しのトレードになっていた。
損切り後にすぐ画面を閉じなかった。
反省点はいくらでも出てくる。
ただ、それだけを書いて終わると、また同じことを繰り返す気がする。
問題は、手法だけではない。
エントリーの精度だけでもない。
自分が何を埋めようとしてロットを上げるのか。
何が悔しくて、何を取り返したくなるのか。
なぜ、パタヤに行けない時間をチャートで回収しようとしてしまうのか。
そこを見ないと、同じ負け方をする。
トレード日記には、勝ち負けやpipsだけでなく、感情も書いた方がいいのかもしれない。
今日は何を見て焦ったのか。
どの瞬間に取り返しモードに入ったのか。
損失を何に換算していたのか。
本当は何が悔しかったのか。
これはもう、トレード日記というより、自分の観察記録に近い。
でも、今の自分には、そのくらいが必要なのだと思う。
ロンドン前にPCを閉じることも、自由への一歩かもしれない
というわけで、今日はいつものパターンを少しだけ変えることにした。
もうロンドンまでは触らない。
この時間帯は、自分のメンタルが一番危ない。
朝の取り逃しを引きずっている。
昼の損失をまだ納得できていない。
夕方になると、なぜか「ここから取り返せる」と思い始める。
でも、その状態でチャートを見ても、たぶん良い判断はできない。
だから今日は、ロンドン前にPCを閉じる。
ロットを半分にすること。
チャートを見続けないこと。
取り返したい気持ちを、その日のうちに終わらせること。
それもたぶん、パタヤへ近づくための一歩なのだと思う。
パタヤは、チャートの向こう側にあるわけではない。
無理にロットを上げた先にあるわけでもない。
焦って取り返した先にあるわけでもない。
ちゃんと生活を守る。
旅費を守る。
口座を守る。
そして、行けるタイミングが来たら、無理のない範囲で行く。
それくらいでいい。
自由になりたくて相場を見ているはずなのに、チャートに縛られていたら意味がない。
だから今日は、もう閉じる。
-15,000円は痛い。
でも、ここでさらに取り返そうとしないことが、今日できる一番現実的な修正だと思う。
パタヤへ戻るために、今日はトレードを終わらせる。


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