「ナイキ離れ」の話より、足を我慢しなくなった人が増えたことのほうが気になった

ニュース考察

「ナイキ離れ」という記事を見た。
最初は、よくあるブランドの移り変わりの話なのだろうと思った。
でも、少し時間をおいてコメント欄まで読んでいくうちに、別のところが気になってきた。

元の記事が言いたいことは、たしかにわかりやすい。
スニーカー需要そのものは強く、その中でナイキ一強の空気には陰りが見え、代わりにOnやHOKA、アシックスのようなブランドが目立ってきた、という整理だ。
それはそれで事実の一面なのだと思う。

ただ、今回の記事とコメント欄をあわせて見ていると、印象に残ったのはブランドの勝ち負けより、足に合わないものを無理して履く人が前より少し減ってきたことのほうだった。
ナイキがどうとか、次にどのブランドが来るとか、そういう話だけで読まないほうがいいのかもしれない。
少なくとも、コメント欄に出ていたのは、もっと生活に近い実感だった。

「ナイキ離れ」という話自体は、たしかにわかりやすい

元の記事が言おうとしていることは、そこまで複雑ではない。
スニーカー需要そのものは強い。実際、市場としてもスポーツシューズは伸びている。
その一方で、かつてのようなナイキ一強の空気には陰りが見え、OnやHOKA、アシックスといったブランドの存在感が増している、という話だった。

こういう整理はたしかにわかりやすい。
昔の王者が少し押されて、新しい側が伸びてくる。ニュースとしても受け取りやすいし、話としてもまとまりやすい。

ただ、こういう記事は、どうしてもブランド同士の勝ち負けとして読みたくなる。
ナイキが落ちた、Onが来た、HOKAが強い、アシックスが支持されている。もちろんそういう見方もできるのだろう。
でも、今回に関しては、それだけで終わらせるには少しもったいない気がした。
というのも、コメント欄に出ていた声は、思った以上に“ブランド論”ではなかったからだ。

コメント欄に出ていたのは、「ブランド」より「足」の話だった

実際に並んでいた声を見ていくと、かなり具体的だった。
幅が狭い、長く歩くと痛い、膝や腰にくる、甲高幅広には合いにくい、外反母趾がつらい。
逆に、別のブランドに変えたら楽になったとか、通勤や旅行で疲れにくくなったとか、そういう話が多かった。

ここで見えていたのは、「ナイキが嫌いになった」という強い感情というより、もう足に合わないものを無理して履く理由が薄くなってきた、という感覚だったように思う。
値上がりがきついとか、最近のデザインが刺さらないとか、復刻ばかりで新鮮味がないとか、そういう声もたしかにある。
ただ、それ以上に目についたのは、身体に合わないものを、ブランドの勢いだけで選ぶ空気が弱くなっていることだった。

評価されているポイントも、かなりはっきりしている。
履き心地、クッション性、軽さ、歩きやすさ、ワイズ、長く歩いても負担が少ない感じ。
昔なら「機能性」の一言でまとめられていたものが、今はもっと切実な意味を持っているのかもしれない。
靴がただのファッションではなく、日々の体調や機嫌に地味に効いてくる道具として見られるようになっている、ということなのだと思う。
少なくとも、今回のコメント欄からはそんな空気がかなり強く出ていた。

これは年齢のせいというより、生活と社会の現実が前に出てきただけかもしれない

こういう変化を見ると、つい「歳を取ったからだ」と言いたくなる。
たしかに、それは一部では当たっているのだと思う。若い頃は少しきつい靴でも、少し重い靴でも、見た目がよければ何とかなるところがあった。
流行っているものを履くこと自体に、ちゃんと意味もあったのだと思う。

でも、今起きていることをそれだけで片づけるのは、少し雑な気もする。
年齢というより、生活の中で“ちゃんと歩けること”の価値が前に出てきただけなのかもしれない。

通勤で歩く。階段を上る。駅で乗り換える。待ち時間がある。立ちっぱなしになる。
休日も少し出かければそれなりに歩くし、旅行ならなおさらだ。
そういう日々の中で、靴が合わないだけでじわじわ疲れる、というのは案外大きい。
大げさな話ではないが、足がしんどいだけで出かける気分は少し鈍るし、帰る頃には思っていた以上に消耗していたりする。靴はそのくらい静かに効いてくる。

それに加えて、社会の側の空気も少しずつ変わってきたのだと思う。
昔よりノーネクタイは珍しくなくなり、会社によっては服装の自由度も上がった。スーツ一択ではなくなり、少し楽なほう、少し実用的なほうを選びやすくなっている。
見た目のきちんと感のために、身体の負担を当然のものとして受け入れる空気は、前ほど強くない。
靴だけが急に変わったというより、服装全体の価値基準が少しずつ実用に寄ってきた、その流れの延長にあるのかもしれない。

だから、見た目より履き心地を選ぶようになったとしても、それを単純に“老けた”で済ませなくてもいいのだと思う。
むしろ、身体にかかる負担を、前より正直に数えるようになっただけなのかもしれない。
それは、年齢に負けたというより、生活の現実に少し嘘をつかなくなった、というほうが近い気がした。

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見栄より身体を優先する人が増えたなら、それは少し健全な変化にも見える

昔は、ブランドに身体を合わせる空気が、今よりもう少し強かった気がする。
流行っているから履く。少しきつくても我慢する。みんなが履いているから、それが正解に見える。
そういう時代の熱気には、それなりの面白さがあったし、ファッションは多少の無茶も含めて成り立っていたのだと思う。

ただ、今の空気は少し違って見える。
ブランドの側に自分を合わせるのではなく、自分の足に合うものを選ぶ。
言い方を変えれば、見栄のために身体を後回しにしなくなってきた。

もちろん、これをそのまま「ブランドの時代が終わった」と読むのは違うのだと思う。
見た目で選ぶ楽しさは今でもあるし、好きなものを履く人はこれからも履くだろう。流行はまた巡るはずだ。
だから、ナイキが終わったとか、そういう話をしたいわけではない。

ただ今回の記事とコメント欄を見ていて、少なくとも前よりは、足に合わないものを無理して履くことが“正しさ”ではなくなっているように見えた。
そこには、ブランドの勝ち負けとは別の変化がある気がした。
人がブランドのために身体を我慢しなくなってきた。
印象に残ったのは、たぶんそのことだった。

派手な話ではない。
でも、こういう変化のほうが、あとからじわじわ効いてくるのかもしれない。
少なくとも今回は、「ナイキ離れ」という言葉そのものより、その奥で起きている静かな変化のほうが気になった。

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