FXで負けた夜、パタヤVlogで心を冷やしていた

FX

朝の一撃で、−18,000円。

理由はある。
言い訳もある。

「少しだけ取る」つもりで入ったのに、気づけばこちらが取られる側になっていた。

口座残高を見た瞬間、部屋の空気が少し変わる。

コーヒーは薄い。
スマホの画面だけがやたら明るい。

こういう時、本当なら反省ノートを開けばいい。
どこで入ったのか。
なぜ切れなかったのか。
なぜロットを上げたのか。

そこを見ればいい。

でも、自分はYouTubeを開いてしまう。

検索窓に入れたのは、パタヤ Vlog。

負けて、行けるはずの旅が少し遠のいた気がして、
せめて映像だけでも浴びて、心を落ち着かせようとした。

現実の財布が縮むと、妄想の景色だけが広がる。

朝の負けで、部屋の空気が変わる

−18,000円。

金額だけ見れば、ものすごく大きいわけではないのかもしれない。
でも、自分にとっては十分に痛い。

しかも痛いのは、金額だけではない。

また同じことをした。
少しだけ取るつもりで入って、結局、余計な損を出した。
途中でやめられたはずなのに、やめなかった。

この「またやった」という感覚が、一番しんどい。

負けた直後は、部屋の中の景色が少し変わる。

いつもの机。
いつもの椅子。
いつものスマホ。
いつものチャート画面。

何も変わっていないはずなのに、残高だけが減っている。

こういう時、すぐに反省できる人は強いと思う。
自分はなかなかそうはいかない。

まず、現実から少し目をそらしたくなる。
その逃げ道として、YouTubeを開いてしまう。

そして、パタヤのVlogを再生する。

パタヤVlogの地味な到着シーンが、なぜか一番効く

動画の中では、誰かが空港からホテルへ向かっている。

汗をかきながらチェックインして、
部屋を見て、
荷物を置いて、
外に出て、
街を歩いて、
何かを食べる。

ただそれだけの映像だ。

でも、負けた夜には、こういう地味な到着シーンが妙に効く。

派手な夜の映像より、
豪華なホテル紹介より、
刺激的なサムネイルより、
空港からホテルに着いて、暑いと言いながら街を歩く映像の方が沁みる。

ああ、自分が欲しかったのは刺激ではなく、ただ旅の空気だったんだなと思う。

現地に着いた時の湿った空気。
少し疲れた体で見るホテルの部屋。
外に出た時の雑な看板。
夕方の道路の音。
何を食べるか決めずに歩く時間。

そういう、何でもない部分が見たい。

トレードで負けた夜ほど、その何でもなさがやけにまぶしく見える。

損失をパタヤ換算すると、痛みが急に現実になる

−18,000円。

円のまま見ると、ただの赤字に見える。
チャート上の数字。
口座残高の減少。
トレード履歴の一行。

でも、パタヤの映像を見ていると、脳内で勝手に換算が始まる。

この18,000円があれば、現地で何ができただろう。

屋台で何度か食事できた。
マッサージにも行けた。
移動にも使えた。
カフェで甘いものを食べることもできた。
ホテル代の一部にもなったかもしれない。

そう考えた瞬間、損失が急に生活の言葉になる。

FXの損失は、画面上では少し麻痺しやすい。
数字が動いているだけに見える。
pipsやロットで考えているうちは、どこかゲームのようにも見える。

でも、旅に換算した瞬間だけ、痛みが体を持つ。

これは良いことでもあり、悪いことでもある。

良い面は、損失の重さを思い出せること。
悪い面は、悔しさが強くなりすぎて、また取り返したくなること。

「これだけあれば、あれができたのに」

そう思い始めると、次のトレードが危ない。

調査や検証と言いながら、ただ眺めている夜がある

Vlogの中では、旅先の街を歩く。
海沿いを歩く。
市場を眺める。
ホテルの周辺を確認する。
店に入って、食べて、少し感想を言う。

それは、見方によっては調査にも見える。

ただ、正直に言えば、ただの夜更かしでもある。

これはトレードにも似ている。

「検証する」
「値動きを見る」
「ロジックを確認する」
「明日のために相場環境を整理する」

そう言いながら、実際にはただチャートを眺めているだけの夜がある。

本当はもう判断力が落ちている。
本当は、これ以上見ても意味がない。
本当は、閉じた方がいい。

それでも画面を見続ける。

調査という名の、未練の確認。
検証という名の、感情の延命。

そんな夜がある。

現地の危険には気をつけるのに、チャートの前では自分の指が一番危ない。
ワンクリックで、余計なトレードが始まってしまう。

行けない気持ちを、映像とチャートで埋めようとしていた

結局、自分は「行けない気持ち」を埋めたいだけなのかもしれない。

パタヤに行けない。
自由になれていない。
昔みたいに、思いつきで動けない。
仕事や生活やお金のことを考えると、なかなか簡単には飛べない。

その穴を、チャートの点滅と、旅の映像で埋めようとしている。

勝ったら、少し行ける気がする。
負けたら、やっぱり遠のいた気がする。

どちらに転んでも、頭の中ではパタヤとの距離を測っている。

でも、本当は違う。

FXで勝ったからといって、すぐ自由になるわけではない。
FXで負けたからといって、旅が完全に消えるわけでもない。

それなのに、勝ち負けに気持ちを乗せすぎると、相場が人生の採点表みたいになってしまう。

これは、かなり危ない。

Vlogは優しい。
口座残高を責めてこない。
負けた理由を問い詰めてこない。
ただ、海と屋台とホテルの部屋と夜風を流してくれる。

その優しさに救われることもある。

でも、それだけで穴が埋まるわけではない。

映像で心を冷やすのはいい。
ただ、そのまま現実から逃げ続けると、また同じことを繰り返す。

今日の結論は、ロットを半分にして早めに閉じること

今日の−18,000円は、旅費ではなく、未練を見に行くための入場料みたいなものだったのかもしれない。

そう思うと、少し痛みの種類が変わる。

単に負けた。
単にお金が減った。
単にエントリーが悪かった。

それだけではなく、自分は何を埋めようとしていたのかを見せられた気がする。

刺激で埋めるのは簡単だ。

もう一回エントリーする。
ロットを上げる。
別の銘柄を開く。
寝る前までチャートを見る。
勝てば気分が戻ると思い込む。

でも、そうやって穴を埋めようとすると、だいたい穴は広がる。

だから今日は、少しだけ違う終わり方にする。

ロットを半分にする。
ロンドン前にPCを閉じる。
パタヤVlogをBGMにして、心拍だけ落として寝る。

行けないなら、行けないなりに。
今すぐ飛べないなら、今すぐ飛べないなりに。

せめて、負け方だけは少しずつ上手くなりたい。

パタヤへ近づくために、今日は無理に取り返さない。
自由に近づくために、今日はチャートから少し離れる。

そういう夜があってもいいと思う。

コメント